夢紀行logo 流氷をもとめて 中編(平成9年3月15〜23日)

◆ 4日目(3/18) 池田〜美幌 晴れ
 この日も9:00にYHを出発。一部アイスバーンの道道を抜けてR38へ。白糠から R392へ。 白糠線跡を訪ねる為である。茶路辺り から線路跡がはっきりと分かる。終点であった二股まで行くが、北進駅跡が見つからない。引き 返す途中で上茶路駅跡を発見。駅舎、ホーム共に残っているがかなり荒れていた。釧路の手前で 道の駅「しらぬか恋問」に寄る。しかしながら冬季休業中の為、トイレしか使えなかった。他にも トイレのみ使用可という道の駅が何箇所かあった。 R240に入り、道の駅「阿寒丹頂の里」 へ。ここは丹頂が見れるとのことであったが、あいにく先を急いでいたので見ることが出来なか った。雄阿寒岳が近づいて来たところで今度は R241に入る。結構標高の高い所を走 る為、所々アイスバーン状態である。雄阿寒岳をバックに走っているとまるでカナダにでもいる ようだ。弟子屈町の市街地の手前で洒落た喫茶店を発見。早速ティータイム。市街地に入るとす ぐに道の駅「摩周温泉」がある。この道の駅はトイレと簡単な観光案内所だけの簡素な作りであっ た。

雄阿寒岳 330°のパノラマ
▲雄阿寒岳 ▲330°のパノラマ

 さて、今日の宿は美幌YHであるから本来は R243を左折するのであるが、右折 して中標津を目指す。標津線跡を散策す る為である。^^; R243を走ること数十分、丘を上り切ると突如視界が開ける。正に330度のパノ ラマである! 感動もさめぬまま走り続けると西春別の集落へたどり着く。ここも駅跡は鉄道 記念館となっていた。元「駅前」郵便局で現金をおろす。どん なに小さい町でもあるのが郵便局である。旅には欠かせない存在である。中標津は結構大きな 街であった。駅があったと思われる場所はバスターミナルと何とかセンターが建っていた。あ る程度の規模の町はこのパターンが多い。逆に小さい町は記念館として残っている場合が多い。 弟子屈まで急いで戻り、美幌峠へ。屈斜路湖は凍結していて真っ白であった。噂通りの素晴ら しい眺めである。峠を越え、美幌の町に入る頃にはすっかり日も暮れていた。18:00に美幌YH に入る。ここも初日の室蘭と同じく典型的なYHの建物であった。この日は私の他に京都の高校 生が泊ることになっていた。高校生は青春18切符で道内を周っているとのこと。網走で流氷を見 たそうである。私も明日はいよいよ流氷に対面である。ペアレントから大分沖の方に流されて いるので、知床の宇登呂の方まで行かないと海岸からは見れないかも知れないというアドバイス を頂く。さて、どうなることやら。

美幌峠 美幌YH
▲美幌峠にて ▲美幌YH

◆ 5日目(3/19) 美幌〜枝幸 晴れ
 今日も天気が良い。自宅を出てから今日までいずれの日も晴れである。今日はいよいよ 流氷と対面する予定である。YHを8:00に出発し、青春18切符の高校生氏を美幌駅まで送り、 R39で私は網走へ。途中の網走湖は見事に凍結していた。クルマを止めて氷上を歩いてみる。 氷上でテントを発見。キャンプをしているのであろうか。
 網走に到着するが流氷は見当たらない。 R244沿いにクルマを走らせると、 砂浜に残骸がちらほらと見えた。やはり沖に漂流してしまったらしい。YHのペアレントの言 葉通り、知床半島の宇登呂まで走ることにする。斜里を抜けて知床半島に差し掛かりオホーツ ク海が顔を出したその時である、一面真っ白な海が広がった。流氷である。まさに水平線の向 こうまで広がる白い大海原である。パーキングスペースを見つけて早速写真を撮る。非常に感 動的だ! ここまで来た甲斐があったのだ。宇登呂の漁港も流氷で覆いつくされていた。打ち 上げられていた流氷は青白かった。海の色である。流氷に恐る恐る乗ってみる。どこからとも なく「きゅ、きゅ」という音が聞こえて来る。流氷同士が擦れて鳴いているのである。
宇登呂を後にして網走へ戻る。途中の北浜駅構内にある「停車場」でお昼を取る。このお店は 雑誌などでも取り上げられている有名店らしい。中はカウンター席と、古い客車のボックス席 という「鉄」の濃い人にはたまらない造りである。私もその一人だが...(笑)

白い大海原
▲白い大海原
流氷に乗って記念撮影 北浜駅
▲流氷に乗って記念撮影 ^^; ▲「停車場」のある北浜駅

 網走からはR238でオホーツク 海沿いに走る。網走を出てすぐにサイクリングロードとなった湧網線跡と並走する。凍結した 佐呂間湖を過ぎて湧別町に入る。R242 に入り、すぐの所に道の駅「中湧別」 がある。ここは名寄本線中湧別駅跡に建てられた道の駅である。ホームも一部残っており、 記念館もある。また、同じ敷地内の文化センター内に「漫画美術館」があるユニークな道の駅 である。この後、湧別駅跡に行ってみたが、こちらは立派な建物があるだけで駅の面影は何も 無かった。R238を北上し続けるが、名寄本線跡 がほぼ平行して見える。渚滑駅跡はそのままバスターミナルとして使われていた。その先の興部 駅跡は中湧別駅跡と同じく道の駅「おこっぺ」 とバスターミナルに生まれ変わっていた。さて、日も暮れてきたしそろ そろ今日の宿を決めなくてはならない。浜頓別にYHがあるのだが、今の時期は営業をしていな いとのこと。取り敢えず枝幸まで行ってそこで旅館にでも泊ることとしよう。国道沿いには相変 わらず線路跡が続く。かつてはここにも鉄道があったのかと思うと不思議な気分になる。枝幸町 に入り、イエローページで宿を探して予約を入れる。広告にはカニの夕食とあるが、18:00を過 ぎていては無理であろう。予想通り夕食は用意出来ないとの事なので、元「駅前」食堂で夕食を 取る。食堂の前はバスターミナルになっており、恐らくここに 北見枝幸駅があったのであろう。
 今日は流氷と廃線跡で終わった1日であった。

 おっと、大事なことを書き忘れていました。^^;
 紋別の街の手前に道の駅「オホーツク紋別」 がある。ここは流氷科学センターを併設している道の駅である。私は...スタンプだけ押して 帰ってきました。 枝幸の街の手前にも 道の駅「マリーンアイランド岡島」があり ました。しかしここも冬季閉鎖でトイレしか使えませんでした。

 後編へつづく。

後編  夢紀行