夢紀行logo 北海道の旅 後編(平成4年9月15〜18日)

まえがき
 初めて走った北海道は「でかい」の一言に尽きます。また、東京近辺では絶対に見られない 雄大な風景も沢山ありました。180度広がる地平線はなかなか見れるものではありません。多く の人が北海道に見せられる理由が何となく分かったような気がしました。では、後編をお楽しみ 下さい。

◆ 4日目 厚床〜網走
納沙布岬
▲納沙布岬にて

 「寒い」そう感じて目が醒めた。午前2時位だったろうか。外に出ると吐く息が白い。-_-;  9月中旬だからいくら道東といえどもそれほど寒く無いだろうとタカをくくったのが間違いだった。 エンジンをかけてヒータを入れる。少し暖まったところでエンジンを止めて寝る、といった繰り 返しを朝まで行った。
 朝6時頃厚床を出発。まずは納沙布岬を目指す。根室市内のコンビニで朝食を調達する。1時間 ほどで本州最東端納沙布岬へ到着。あいにくの天気で北方領土は見ることが出来なかった。 残念!! この辺りを走ると北方領土返還に寄せる期待が大きいことが分かる。あちこちに返還 を求める看板が建っているのだ。戦後50年が過ぎようとしているのに未だに未解決であることに 怒りすら覚える。
 納沙布岬を後にしてR44を戻る。風蓮湖を過ぎて R243R244と走り、野付半島に入る。半島 と言っても幅が狭いところでは数百mしかない、北海の天橋立といったところか。野付崎には展望 台と駐車場があり、観光客の姿もちらほらとあった。
 標津町営の銭湯とでも言う共同浴場を発見。さっそく汗を流すこととする。地方では温泉でなく ともこのような共同浴場が結構あり、重宝している。車中泊 派には温泉と共にありがたい存在である。
 今回の旅のもう一つの目的は、廃止になったローカル線跡を訪ねることである。根室標津駅は 旧標津線の終点 であった駅である。駅舎は木で封鎖されており、中には入れないが、ほぼ原型を留めている。駅前 には食堂もあり、そこだけは時が止まっている。構内跡は草が生え放題で、キハ22が2両取り残さ れていた。ガラスは石をぶつけたのであろうか破れており、このまま朽ち果てるのであろうか。 広尾駅や幸福駅のように整備されることも無いまま消えてゆくのであろうか。

 R244と別れ、羅臼を目指して R335に入る。しかし、どうも体調が悪い。少し熱もある様だ。やはり昨夜の寒さが効いたらしい。 羅臼町の薬局で風邪薬を購入する。羅臼から道は R334となり、知床峠を越える。 頂上では霧雨だったのが、降りて行くに従って快晴になってゆく。知床五湖への道道は所々ダー トではあるが、ほぼ舗装されていた。途中には廃屋となった民家がちらほら見える。かつては人 が住んでいたとは思えない静けさだ。何やら動物の姿を見たので車を止めてみると、何とキタ キツネである。そういえば初めてお目にかかる。耳と首からぶら下げた生態調査の認識票が 痛々しい。
 知床五湖への入り口には駐車場とトイレが整備され、観光バスが数台止まっていた。熊笹の中 の道を歩くこと小1時間ほどで全てを周ることが出来た。

キタキツネ 知床五湖
▲道路に顔を出したキタキツネ ▲知床五湖

 今日は体調が悪いので当然、車中泊はやめよう。ということでオホーツク海を眺めながら R334〜R244と走り、網走へ。網走駅の観光総合案内所で宿の手配をする。今日の宿はビジネス ホテルだ。オホーツク丼という鮭とイクラの入った駅弁を購入し、ホテルへ入る。今夜はぐっ すりと寝ることにしよう。

◆ 5日目 網走〜稚内
 昨夜は良く寝たせいか、風邪ぎみだった体調も良い。これならこの先も走れそうだ。朝7時頃に チェックアウト。まずは網走駅前にて記念撮影(写真下)。今日は稚内まで走るつもりである。取り 敢えずはR39で旭川を目指す。女満別、美幌を通過し、北見へ。この街は何故か北の街という言葉 が似合うように思える。じっくりと散策していないことが悔やまれる。R39を快調に飛ばし、石北 峠を越えて層雲狭へ。さすがに観光名所になるだけのことはある。なかなかの眺めだ。銀河の滝 の前で記念撮影。
 旭川からR40に入り、最北端を目指す。 どの辺りだったか正確におぼえていないのだが、士別か名寄でF104を発見した。学校か、児童会館 かは分からないが、そのグランドに展示してあった。自衛隊と地域の結び付きが強いのであろう。 東京近辺では土地の問題もあるが、その様な物騒(笑)な物を見たことがない。しかし、子供とは そのような物が好きなのだ。

網走駅前 宗谷岬
▲網走駅にて ▲最北端に到達!
F104
▲突如現れたF104

 音威子府でR40と別れ、R275に入っ てすぐのところに道の駅「おといねっぷ」 がある。当時は道の駅の存在を知らず、ただの観光センターと思っていた。中に入ると木工細工が 多く展示してあった。R275を走っていると時々、鉄道のトンネルや跨線橋が見える。 天北線の跡である。今回、10年前の北海道の 地図をコピーして持って行ったのも、廃止になったローカル線を確認する為である。鉄道は無く なっても、街は駅を中心とした造りがそのまま残っていることが多かった。
 再びオホーツク海に出ると今度はR238 に入る。日本最北端まであと少しだ。日もだいぶ暮れてきたし、相変わらず天気も悪い。日没直前 に宗谷岬に到着。昼間の天気の良い日であれば樺太も見渡せるらしいが、それも出来ずお土産屋 に入り友人にお茶漬けを買う。稚内駅で記念入場券を買い、駅前の食堂で夕食。カニと鮭とイク ラの入ったどんぶりを食べる。これがなかなかで、値段も千円程度だったと思う。

◆ 6日目 稚内〜小樽
 夕食後、宿を探そうかと考えたが時間遅かったのと、帯広で会った ボンゴ氏に教えてもらった小樽〜新潟のフェリーが木曜日の夜 出発(夏は臨時便があるので水・金も運行)と聞いていたので、先を急ぐことにした。なぜ小樽発の フェリーかと言うと、値段が安いからである。青函航路とさ ほど変わらない値段で新潟まで行けるのである。ガソリン代と高速料金を考えると安上がりである。 そういう訳で、夕方までに小樽に着こうとするとある程度走らなくてはならない。今夜は夜通し 走ろうか。そう思ったのも束の間、睡魔が襲ってきた。スノーシェルターに車を止めてしばしの 仮眠と思いきや、車が通るたびに凄い反射音がする。仕方がないのでもう少し走ろう。音楽も聞 き飽きたのでラジオをつける。サロベツ原野ではNHKのAMくらいしか入らない。しかし、よーく 聞いてみるとスペースシャトからの宇宙授業の中継だ。北海道余市町出身の毛利さんが子供達の 質問に答えている。暗闇の中で聞く宇宙授業もなかなか良いものである。天気の方は一層悪くな り、雷も鳴りだした。雨足は激しくなり、視界が極端に悪くなってきた。R40から R232へ入る頃には対向車も無く、 不安すら覚える。羽幌、留萌を過ぎ、増毛の先あたりでようやく雨もやんできた。ここで車を 止めて車中泊。
日銀小樽支店 小樽運河
▲ライトアップされた日本銀行小樽支店 ▲小樽運河にて
C55
▲小樽鉄道記念館のC55

 翌朝は昨夜とはうって変わっての青空。 R231を進み、札幌市内へ。旧道庁、時計台などを巡り市内観光を楽しむ。午後には小樽に移動 の為、R5を走る。途中に銭湯があったので汗を流す。小樽ではフェリー埠頭へ真っ先に行き、予約 を取る。その後市内を散策。まず始めに鉄道記念館を訪ねる。つい先日まで函館本線を走っていた C623もここに展示されていた。現在は改装されて、小樽交通記念館という名前になっていると思う。 次に訪れたのが北一硝子。ここでビアグラスを購入。最後に展望台に登り、夜景を撮影した。
小樽の夜景 フェリーで出会ったライダー達と
▲小樽の夜景 ▲フェリーで知り合ったライダー達(左、中。右は筆者)

◆ 7日目 小樽〜自宅
 フェリーに乗り込みいよいよ北海道ともお別れである。始めは二等、いわゆる雑魚寝部屋を 予約してあったのだが、\1,750の差額で二等寝台へ移れると知り、早速変更する。これは正解で あった。二段ベッドではあるが、カーテンもあり快適に眠れる。同室のライダーから声を掛けら れた。彼らも北海道をバイクで廻ったとのこと。北海道を走っていていわゆる「みつばち族」を 数多く目撃した。私はバイクの免許を持っていないが、北の大地をバイクで走るのは爽快であろ う。確か大学生とスタンド勤務と言っていました。これを見ていたら メール下さい。(^_^) 船旅は揺れも無く 快適そのもので、約20時間の旅はあっと言う間に終わりを告げた。北陸道の新潟西ICから関越道 を経由して自宅についたのは23時頃であった。
 総走行距離、約3,500km。北海道をほぼ一周する行程であった。次は内陸部を廻ろうと思う。

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